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立教大学異文化コミュニケーション学部2023年夏フィールドスタディA(モンゴル)のブログです

8/13午後

【ノミンデパート】

8月13日の昼に、ノミンデパートに行きました。

 

私たちは主に6階と1階に行きました。6階には、工芸品売り場が広がっていました。モンゴル刺繍のポーチやバッグ、服、毛皮の帽子など様々な物があり、モンゴルに来て初めてのお土産選びでした。 1階は化粧品売り場に加えて非常に大きなスーパーマーケットがあり、観光客だけでなく、モンゴル人も多く訪れます。チョコレートを買う研修生が多く見られました。また、チンギス・ハーンの顔が描かれたvodkaも有名で、購入している人も多数いました。

 

モンゴルの学生にモンゴルでは21歳まで酒やタバコを購入できないと教えてもらいました。スーパーマーケットを見回してみると、モンゴル産のブランドが非常に少なく、ほとんどが外国からの輸入品であることに気付きました。輸入品は確かにモンゴルの人々の生活を豊かにすることができますが、外国ブランドに過度に依存すると、自らの文化的特徴や経済的自立を失うのではないかと疑問に思いました。

 

 

30分のドライブの後、私たちは東横ホテルに到着しました。ホテルの雰囲気は、まるで日本に戻ったかのようでした。 

 

【夏季研修の修了式】

ホテルに到着後、本モンゴル研修プログラムの修了式を行うためにモンゴル文化教育大学へと向かいました。キャンパス内には、日本語の表示や賞状が多く見られ、階段には富士山などの日本風の絵画が見られました。

修了式では、先生方のお話をうかがうとともに、各校の代表者が研修の総括と感謝の気持ちを伝えました。各校の先生方をはじめ、毎日食事やアクティビティを支えてくださった受け入れ側の学生や職員の方々のおかげで、今回のプログラムを無事に終えることができたと強く感じました。研修の修了証を受け取り、また、モンゴル文化教育大学の設立30周年を記念したチョコレートもいただきました。

 

【食事】

8月13日のお昼ご飯はラーメンを食べました。具材はチャーシュー、ネギ、ゆで卵、キクラゲでした。日本発のラーメン屋だったこともあり、慣れ親しんだ味がして懐かしく感じました。そして夜ご飯は、ウランバートルのレストランに行き、モンゴル料理を頂きました。そこには羊肉や牛肉、野菜がたくさん使われており、モンゴル料理が多様な種類の具材を使っていることを発見しました。

 

そして、14日の午前の便でウランバートルを発ち、私たちは午後、無事に成田空港にたどり着いたのです。

 

by トマト、ココ、ボブバナナ、マンゴー

8/12午後~8/13午前

【亀石】

テレルジという観光地の亀石は自然のものとは思えないユニークなランドスケープで、テレルジ国立公園のトレードマークになっています。看板に書かれた歴史によると、ズウン・モドの戦いで、ハン・ガルダン・ボクシトは大敗を喫しました。しかし、なんとか敵の攻撃から逃げ、その後亀石に攻撃を集中させました。そして敵の攻撃を避け、西に逃げる準備をするときに亀石の崖に宝石と銀器を隠しました。それ以来、銀岩とも呼ばれ、彼が残した宝物を見つけようとする人がいますが、未だ見つけられていません。亀石は傾斜が急で登ることが難しいですが、登るにつれて広大なモンゴルの草原や山々を目にすることができ、自然の雄大さを感じることができました。

 

【キャンプ】

8月12日は、テレルジ国立公園でキャンプをしました。到着した直後はここで寝泊まりするのかという戸惑いもありました。しかし、モンゴルの大自然の中で川遊びをしたり、学生のみんなと遊んだり、星を見たりすることができました。モンゴルは日本より日照時間が長く9時頃に日が沈むため学生のみんなと大自然の中で楽しい時間を過ごすことができました。食事の後は、モンゴルの学生とバレーボールなどをして交流しました。夜は、気温が下がりテントにはストーブなどがないためゲルで泊まった時よりも寒かったです。また、電気やトイレがなく、夜に行動するのはとても不便だと感じました。防寒のためにみんなで寝袋に入って寝ましたが、それでも寒くてなかなか眠れない人が多かったです。

 

 

【「日本人墓地」】

モンゴルで抑留者となり、死亡した日本人兵士の墓地と慰霊碑を訪れました。

 

1945年〜1947年、第二次世界大戦時に約12,000人が捕虜となり強制労働させられ、そのうちの約1,500人が亡くなりました。この日本軍記念博物館では、日本人兵士の遺骨帰還や遺品、慰霊祭などに関する写真が展示されていました。また、慰霊碑は床と上に円があり、日本の国旗をモチーフにしたデザインのものもありました。日本へ帰還し、家族と再会することを望みながら亡くなっていった方々を偲び、日本とモンゴルの更なる交友を願いたいと思います。

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【食事】

8/12の昼ご飯はモンゴル式のうどんでした。羊の肉ときしめんが入っていました。午後に川で遊んだ後はお菓子として小麦粉スティックを食べました。学生はよく動いた後だったので、おかわりするほどお腹空いている様子でした。肝心の味は揚げパンのようで、日本人にも食べやすかったです。8/12の夜ご飯は雑炊でした。具材は米やじゃがいもなどでパンが付いてきました。夜には寒くなってきたので、体を温めることができました。8/13の朝ご飯はサンドイッチとゆで卵でした。中にはきゅうりとハムが入っていました。

 

by ひびき、なよん、さな、ゆいな、わか

8/11午後〜8/12午前

遊牧民のゲルのホームステイ①】

11時頃から16時頃まで3つの班に分かれて遊牧民の家にお邪魔しました。

以下にそれぞれの班の体験を記します。

 

ある班がお邪魔したところはベースキャンプから10分ほどのところに住んでいて、2つのゲルと車3台、小さなテントが2つありました。その周りには30頭ほどの馬が飼われていました。

 

一家族が住んでいたのではなく、いくつかの家族が共同で生活していました。彼らは常にここで生活しているわけではなく、普段はウランバートルに住んでいて休みの時などにゲル生活をしているそうで、馬は田舎の人から必要な時だけ借りていると言っていました。

 

小さな男の子が馬に乗ったり、馬を誘導したりしていて驚きました。ゲルの横には太陽光発電もあり携帯電話の充電などを行っていました。一つのゲルはキッチン用のゲルでプロパンガスが設置してあり煮炊きが出来るようになっていました。壁には解体された羊の肉が干されていました。住居用のゲルの中には大きな馬乳酒用の袋があり、全体が馬乳酒の匂いに包まれていました。

 

ステイ中は子供たちと遊んで過ごしました。言葉は通じなくても、一緒に汗を流したり日本のお土産で持っていったおもちゃで遊んだりしているうちにとても仲良くなることができました。

 

遊牧民のゲルのホームステイ②】

別の班では同じくベースキャンプから車で10分ほど離れた違う遊牧民のゲルにお邪魔しました。そこでは、WiFiがあるため遊牧民の方々はスマートフォンを使用し、太陽光発電を利用しテレビを使用していました。また、屠畜した肉料理や馬乳酒、牛乳、乳製品のお菓子、自家製のお酒が振る舞われ、現代的な暮らしと伝統的な遊牧民の生活の融合を垣間見ることができました。

 

家族構成としては父、母、娘が3人の5人家族で、長女は北海道の大学に留学中、次女は、軍関係の学校に通っているため、軍関係のオフィスワークに就きたいという希望があるそうです。普段はウランバートルにある遊牧民専用の寮に住み、教育を受けていますが、週末になると遊牧の実家に帰るという生活を送っています。三女は、夢はまだ決まっておらず、遊牧民をしている親の立場としては、遊牧民になることを強制しておらず、親の教育意識が高くなれば、大学を出て遊牧民になろうという人の数が減ってしまい、遊牧民の数が将来減ってしまうのではないかという疑問を抱きました。

 

遊牧民のゲルのホームステイ③】

さらに別の班がお邪魔した遊牧民家には日本で暮らした経験がある子どもたちがいました。彼らとボール遊びをしたり折り紙をしたりして親交を深めることができました。また、ゲルの中にはテレビや洗濯機があり想像していたよりも家電に溢れていました。このように、遊牧民族の暮らしも時代に合わせ、どんどん発展してきているように感じました。

 

【ツェベクマ記念館訪問】

次は8月12日午前に訪れた、ツェベクマ記念館についてです。

 

ツェベクマとは人の名前で、現在の中国である内モンゴル出身の方です。作家司馬遼太郎の『草原の記』で描かれている主人公のモデルであったほか、日蒙国交樹立の翌年である1973年に初来訪した司馬の通訳を担当した方でもあります。本記念館は、ツェベクマさんの娘夫婦が経営するキャンプ地に位置しています。ただ、あいにく現在修繕工事中とのことで、今回はレストランに飾ってある一部の展示物の写真をみるだけとなりました。全てを観覧することができず少し心残りですが、今回の研究を機により日本とモンゴルの民間交流について知りたくなりました。

 

by Sofía、HI、ルカ、MA、サリー

8/10午後~8/11午前

ユネスコ

8月10日午後からは、UNESCOを訪問しました。ここでは遊牧文化を風化させないために多様な活動をしています。具体的には、カザフスタンやトルコなど、他の国と連携して会議を開いたり、イギリスやイタリアやアメリカの大学と合同して研究をしたり、モンゴルの遊牧文化を多くの人々に知ってもらう活動をしています。また、最近は[遊牧文化の価値と遺産]や[持続的な発展]というプログラムを実施しています。

 

【国立民族博物館】

8/10の午後に、国立民族博物館に行きました。最初に、モンゴル視点の人類の歴史について語られていました。様々な民族衣装や骨、道具などが飾られていました。また、前日にシャーマンの儀礼を見ましたが、シャーマンの文化は、はるか昔から続いてきています。展示の後半ではモンゴル帝国の終わり頃から現代のモンゴルのことまで展示されていました。具体的には時代ごとの紙幣や貨幣、最後の皇帝の衣服などが展示されていました。それらはとても彩りが豊かだったことが印象的です。

 

近代のセクションでは日本との関わりについての展示品もあり、日本に関することであるのに知らないことが多くあり、日本についてもっと知るべきだと感じました。またモンゴルは内陸国であることもあり、ロシアや中国などの影響を受けながら、一時は1992年まで社会主義国の国家であったという歴史を経て、現在のモンゴル国が形成されました。しかし、現代の展示ではモンゴル国歌が流れており、モンゴル人の自国への誇りを感じました。

 

【羊の屠畜】

8/11の午前中に一匹の羊を屠殺する現場を見学しました。手足を縛られた羊は、ナイフを入れても暴れる事なく静かでした。

 

頸動脈を先に止める事によって血を凝固させ、血が吹き出ないようにする工夫がなされています。モンゴルの大地を汚さないという意識が伝わってきました。また、内臓も水で綺麗に洗い流され、毛皮まで利用されるという点から、一匹の動物を大切にしているという事が分かります。

 

屠殺後はそのレバを焼いて食べました。屠殺直後に食べる事で、動物の命を頂いているという感覚を抱きました。

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【食事】

8月10日の昼ご飯はウランバートルにあるレストランLebistro に行き、ホーショール、ツイワンを食べました。ホーショールには羊肉が中に入っており、羊肉の味が強く感じられました。ツイワンは野菜と一緒に炒められており、そこにも羊肉が含まれていました。8月10日の夜ご飯は、ポテトサラダ、スープ、ナスときゅうりの炒め物とご飯、アイスクリームでした。スープは日本人向けの味がしました。

8月11日の朝ご飯はサラダ、お粥、パンでした。どれもクセが無かったです。

 

by なよん、ももか、なつめ、そへ、さな

8/9午後〜8/10午前

【トーラ川 ごみひろい】

8/9は12時頃からトーラ川沿い付近でゴミ拾いをしました。私達が宿泊しているゲル付近の綺麗なモンゴルの草原から一変、大量のゴミが捨てられていてる状況を目の当たりにしました。

食品ごみから生理用品まで様々な種類のゴミが散乱していました。中でもペットボトルのゴミが多く見受けられました。集めたゴミは、後日回収して頂けるという事です。

途中で雨が降ってきたりと、天候は良くなかったものの、環境保全に繋がる活動ができて良かったと思います。モンゴルの豊かな自然を守る取り組みが今後も行われていく事が重要であると考えられます。

 

【食事】

今日の夕飯は、まずサラダとニンニク風味のにんじんサラダが出ました。そのあと、この研修で初めて骨つき羊肉を食べました。ジューシーで、羊肉独特の臭みがなく、今まで食べたものの中で1番美味しかったです!!(食べた羊肉はキャンプ地周辺の自然の草を食べているため臭みがなかったそうです。また、羊肉を食べた後冷たい水を飲むとお腹を壊すそうです。)また、ピラフは日本でもあるような味でした。

朝はサラダとワンタンスープとヨーグルトでした。胃が休まる優しい味でした。

 

【シャーマン】

夜9時ごろからハルハのシャーマン儀礼の観察と体験をしました。モンゴルでは、シャーマン信仰がチベット仏教に並ぶ代表的な宗教です。モンゴル文化において火の果たす役割は重要で、シャーマン儀礼も焚き火を囲う形で行われました。シャーマンは鈴のような装飾のついた服着ており、体を揺らして音を奏でると同時に太鼓を叩くことで、演奏をしてました。迫力のある太鼓の音と、シャーマンの歌、空に向かって燃え上がる炎は圧巻で、日本の学生たちは自ずと息を呑んで観察していました。儀礼の後は、学生は各々質問や相談をシャーマンに投げかけ、一人一人占ってもらいました。占いは夜の12時過ぎまで続き、日本人学生にとってはモンゴル滞在の中でも、一際、非日常的体験となりました。

 

【JICA】

朝ごはんを食べた後は、この研修で始めて首都のウランバートルに行きました!

ウランバートル到着後、最初に訪問したのは、JICAのモンゴル事務所です。JICAは、①健全なマクロ経済の運営とガバナンス強化、②環境と調和した均衡ある経済成長の実現、③インクルーシブな社会の実現、の3つの協力戦略を基に、事業を展開しています。特に印象に残った政策は、新ウランバートル国際空港(日本モンゴル直行便の場合、必ず利用する空港です!)や火力発電所の建設における資金援助です。今後、日本とモンゴルの関係性がさらに深まっていくことを願っています!

 

【観光環境省

jicaの後は観光環境省に訪問しました。遊牧文化を広めるためにウェルカムモンゴルプロジェクトというものが実地されています。実際に8月までに370万人もの観光客がモンゴルを訪れたらしいです。日本人は1万人来たとおっしゃっていましたが、母数に比べたら私は思ったより少ないと感じました。しかし今キャンプ場には日本人の家族や団体がたくさん泊まっており、それは観光省のデータから見るとものすごい確率だなと思いました。また変化としてはモンゴルに観光に来る年齢層が高齢者から若者(56%)になってきています。そこに目を向けて新しい事業が市内中心にどんどん行われているところです。今回のモンゴルの観光事業で日本と比較し、そこから日本でできることを私達なりに考えていきたいです。

 

by ももか、みお、あいさ、MA、ゆら

8/8午後〜8/9午前

【オボー見学】

8日の午後は、山の上にオボーを見に行きました。オボーとは木の柱の周りに石を積んだもので、宗教的な聖地とされたり、儀礼をするための柱とされています。私たちはオボーの周りを時計回りに回りながら、石を3つオボーに加える体験をしました。

 

オボーはシャーマン信仰において、天の神が柱を通り降りてくるものとされる説があります。また別の説では、オボーはモンゴルの自然との融合を表し、信仰の対象とされているというものがあります。オボーのある丘からもう少し登ると崖があり、そこから叫び、やまびこを聞くという経験もしました。

 

【乗馬体験】

8日午前中、私たちは約7000年前に中央アジアで人間が馬を飼いならして始まったとされる乗馬を体験してきました。私たちの引率の先生によると、日本の天皇の祖先はモンゴルの系譜を辿っているという説があるそうです(日本騎馬民族起源説)。

 

そんな乗馬ですが、私たちは現地の方々に手綱を引っ張ってもらいながら草原を走ることができました。モンゴルでは幼い頃から乗馬を始めることが多いようで、モンゴル文化教育大学の学生のなかには6歳頃から1人で乗り始めたという人もいました。日本の学生のなかには複数回騎乗する人もいるほど楽しく、日本ではなかなか出来ない、貴重な思い出となりました。

 

【8/8 夕食】

夕食前にモンゴルの馬乳酒、アイラグが振舞われました。アイラグは馬乳「酒」と呼ばれていますが、発酵の度合いによっては子供が飲めるほどアルコール度数を下げられるそうです。私たちが飲んだアイラグも匂いはマッコリのようでしたが、味はお酒というよりも、酸味が強いヨーグルトのようでした。アイラグは甘みのあるものと、ないものの2種類用意され、日本人学生には前者の方が飲みやすいようでした。

 

夕食はモンゴル文化教育大学の三年生が調理してくれました。前菜にサラダとスープが出された後、メイン料理として野菜と細切れ肉の入った麺を食べました。



 

【8/9朝食】

今日の朝ごはんはサラダとミルク粥とヨーグルトでした。日本人の口に合うように、お粥やサラダを用意してくれました。ヨーグルトは日本で食べるプレーンヨーグルトよりも少し酸っぱかったです。パンとバターとブルーベリージャムも机の真ん中に置いてあり、各々自由に取って食べました。さらに今朝はウルムというバターのもとも出していただき、パンと一緒に食べました。見た目は湯葉のようで、味はチーズよりもクセがなくおいしかったです。

 

【草原退化の視察】

朝のミーティングが終わった後、私たちは砂漠化した草原へ向かいました。モンゴルは美しい青い空と緑の草原だけではなく、「砂漠化」(=草原退化)のような深刻な環境問題も存在しています。都市開発が急ピッチで進められる中、ビルや道路の建設用に土砂が用いられるため、草原が掘り起こされているのです。草原退化を観察しに行く道中では砂埃が舞い上がるのを目の当たりにし、それが真実であることを感じました。到着してから、私たちは砂の丘を登り、途中でイネ科の植物に足を刺されました。

 

重機が砂を掘っているのを見て、M先生はその砂がウランバートルの建築のためのセメントになると教えてくれました。何度もここを訪れたO先生は、この地域でも植樹の取り組みがあるにもかかわらず、4年前と比べて砂漠化がさらに広がって深刻になっているとおっしゃってました。かつての緑豊かなこの場所が今は荒野になってしまったことを目の当たりにし、私たちは自然の悲しみと人間の責任を深く感じました。




by  ゆいな、あいさ、りさ、るか

 

8月7日午後〜8日午前

【いざ出国】

成田空港からのウランバートル行きの機内では、「ビーフかチキン」かと聞かれ、ビーフにはパスタが添えられていて、チキンにはご飯がついていた。どちらも日本人の好みに合わせた食事が提供されました。また、水が多く配られ水には困りませんでした。アナウンスはモンゴル語と、英語両方の言語が話されていて、CAさんは、英語で対応してくれました。

夜の8時すぎについたにもかかわらず、ウランバートルではまだ陽が出ていました。少し肌寒く感じましたが、モンゴル文化教育大学の学生が暖かく迎えてくれました。空港の出口には車が多く停まっていたものの、数十メートル先には緑の丘や草原が見え、都市と自然のコントラストが印象的でした。

 

モンゴル国へ、草原へ】

空港を出るとすぐに景色は草原となり、草原の中にぽつぽつとゲルが点在していたり、小さな村があったりと自然の豊かさを感じました。また、馬や羊の群れもバスの中から見ることができました。気温は日本よりも断然涼しく、日が出ていても半袖では肌寒く、夜には厚手のトレーナーや上着が必要なほど冷え込みました。

 

 

我々の宿泊場所であるキャンプサイトにはログハウスとゲルがたくさんありました。入り口では犬とネコが迎えてくれました。しかし狂犬病の可能性があるので触ることはできません。遠目から見て可愛がりましょう。

 

 

ゲルに案内してもらった後は、食堂で夕食を振る舞って頂きました。ミルクティーと紅茶を準備して頂きましたが、ミルクティーは日本で飲むものとは違い、少し塩味がしました。スープは野菜と羊の肉が入っていましたが、出汁のような味がして美味しかったです。モンゴル風ポトフのような感じでした。卓上にあった調味料はとろみのある醤油のような感じで、入れるとより馴染みのある味になりました。ゲルの中には、ベッドが5つあり、ストーブもありました。現地の学生がヒーターに火を付けてくれたことで、暖かい部屋で眠ることが出来ました。

 

 



オリエンテーション

8月8日の午前中はオリエンテーションを行いました。理事長のMさんは日本の将来についてモンゴルと比較しながら話されました。今日における便利な生活は先人たちのおかげなのです。彼らが今の日本をつくり、未来では私たちが環境について考えながら作らなければならないとおっしゃりました。普段の生活でわかっていても深く考える機会がなかったので、改めて考えさせられました。

 

また、B先生はまずWi-Fiという身近な例でお話されました。普段Wi-Fiを通じてsnsを利用して外部の情報をつかんでいます。それはつまり自分という内部のことをあまり知らないということです。この研修では普段と異なる生活をして自分自身を観察し、異国の地で自分を見つけるためだと説明されていました。B先生のお話の中で、チンギスハーンが世界にある全ての宗教が同じだと言ったとおっしゃっていました。また思考の範囲を広げて世界を見ると我々は人間中心の状態であることがわかります。生きるために地球のことを考えているが、地球そのものについては考えられていません。私たちは国ごとで人を区分するのではなく地球市民として一惑星の住人であることを意識して環境問題について考えなければ解決はできないだろうと話されました。

 

明日のシャーマニズムの体験では、自分たちが持っている宗教への価値観を捨て、新しい視点でシャーマンについて見てみたいと思います。このモンゴル研修を通じて自分自身を客観的に見つめ直したいです。また日本のことをモンゴルと比較しながら再認識するようにしたいです。

 

By Sofía、Tomato、そへ、わか、ゆら